日本体育大学の歴史を紐解くことは近代日本の体育及びスポーツの歴史を語ることに等しいと言われる。それは明治24(1891)年に本学の経営母体である学校法人日本体育大学が「体育会」の名称を以て産声を上げ、国民体育及び学校体育の奨励・促進に大きく与ってきたことによる。
本稿では、創設者である日高藤吉郎がドイツ語に堪能であったことやドイツの体操に関する論稿が多いことなどに着目し、「体育会」を構想する際に当時のドイツの体育事情が大いに参考にされたのではないかと推察し、彼が「日本体育会」を設立するにあたって具体的にどのような体育論を基盤としていたのか、検討を加えようとしたものである。