本論文では、東京市職員磯村英一の厚生観や彼が所属していた紀元2600年記念事業部(以下、記念事業部)の動向に視点を定め、第1回日本厚生大会の準備が進められていく経過を追跡することによって、演技種目の採用をめぐる論理を明らかにした。記念事業部は、日中戦争の影響で東京オリンピックと万国博覧会という設置当初の目的を失った。第1回大会では、市民厚生相撲大会、市民厚生軟式野球大会、婦人厚生の夕が主要な演技種目として採用された。第1回日本厚生大会の演技種目は、存在意義を失った記念事業部の事業の在り方に、磯村らが彼の厚生観や部の計画を反映させつつ対応した結果、採用されたのである。