本論文では、大阪市保健部体力課の動向に視点を定め、第3回日本厚生大会の準備が進められていく経過を追跡することによって、同市にとって第3回大会が如何なる意義を有したのかを明らかにした。元々、大阪は第4回世界厚生会議の主催地となる予定であった。大阪が国際的なイベントを主催するのは、史上初の出来事であった。しかし日中戦争の影響で第4回世界厚生会議は頓挫してしまった。この事態を受けて大阪は、第4回世界厚生会議の代替として全国厚生会議を計画した。そしてその計画は、市の紀元2600年記念事業の一つ、日本厚生大会の第3回大会、興亜運動の一環としての意義を有する大会となっていった。第3回日本厚生大会は、国家的意義に収斂し得ない複合的な意義を有し、開幕を迎えたのである。