石川啄木・土岐哀果の雑誌『樹木と果実』の出詠者の姓(名字)の調査・確定を目的とした論考である。同誌は明治44年1月に発行計画が始動したが、同年4月中旬に発行中止に至った。しかし、各誌掲載の発行予告には、短歌出詠予定者59名の名及び号を確認できる。本稿は藤沢全・横山強の先行研究を視野に入れつつ、同時代紙誌の調査によって、これら59名の姓(名字)の闡明を企図し、結果的に55名の確定及び推定を得た。その多くは投稿歌人クラスの無名者であるが、彼らこそが啄木・哀果の異形の短歌に逸早く推参した人々であった。